グアノの歴史

インカ帝国イメージ|有機肥料グアノ専門サイトグアノ、それは人類が初めて手にした魔法の様な肥料
インカでは金と並ぶ貴重な宝でした

「グアノは聖者ではないが多くの奇跡を行う」
―― ペルーの諺 ――

グアノとはもともと海鳥の糞の堆積物を言いますが、その歴史は古く、現在のペルーの北海岸に紀元前後から7世紀頃までいたモチーカという先住民は「フアヌ」と呼び、沖合の島から定期的に採掘し、岩だらけの山肌につくった階段状の畑にまいてジャガイモやトウモロコシを栽培していたといわれています。

13世紀の初め、インカ帝国を築いたケチュア人も「フアヌ」を重用しました。彼らは帝国の地域ごとに沖合のフアヌの島を割り当て、耕作民にくまなく行き渡るようにしました。その結果、十分な食糧生産が可能となり、余力を「インカの王道」として有名な道路の建設やかんがい工事、金の採掘などに振り向けることができるようになったのです。そして、1533年のスペイン征服までに、1,000万人近い人口を擁するに至りました。

インカを征服したスペイン人はグアノの効目に驚きましたが関心は金のほうにありました。そしてグアノの採掘はあまりされなくなり、ペルーの農業も衰退していきました。

1802年、ドイツの探検家フンボルトらが、グアノの存在を知り国に持ち帰り分析して、その肥料成分の高さに驚きましたが、本格的にヨーロッパに輸出されたのは、ペルーがスペインより独立した1821年以降の1840年になってからです。

その後約40年間は、ヨーロッパ、アメリカへ大量に輸出されてペルーの一大産業となりました。その間、グアノのとれる島々の権利をめぐり紛争が絶えず、特にアメリカはグアノの採れる島を自国の領土にするために、「グアノ島法」という自国に有利な法律までつくりグアノの確保に奔走しました。

グアノを使った欧米の農民たちは、その肥効に驚きグアノを使わずにはいられませんでした。何故なら肥料成分はそれまで使用していた家畜糞の10倍近くあったからです。

しかし、その後1888年にアメリカのフロリダでリン鉱石が発見されたこと、窒素肥料として南米のチリからチリ硝石が発見され、その後空中窒素の工業的固定が可能となり、グアノの需要はだんだんと減っていきました。

この様にグアノは世界で初めて本格的に商業貿易された肥料であり、歴史的にも大変意味のある肥料です。

 
参考図書
高橋英一 著 「肥料になった鉱物の物語」(株)研成社 2004年
ここに掲げて謝意を表します。

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